• ホーム
  • コンセプトは日本と中国の懸け橋。

コンセプトは日本と中国の懸け橋。

p04_01-01
ラオックス株式会社
代表取締役社長 羅 怡文 氏

1963年中国・上海市生まれ。上海財経大学卒業後、中国のデパートに就職。1989年に日本へ。東京大学大学院経済学研究科の研究員を経て、1996年に横浜国立大学大学院経済研究科を修了。1992年大学院在学中にレンタル書店「中文書店」を創業する。
コミュニケーションズを設立し、国際電話の通信事業も手掛ける。2006年、上海新天地株式会社(現・日本観光免税)を設立し、2009年、蘇寧雲商集団(旧:蘇寧電器集団)の協力を得てラオックス株式会社を買収し、代表取締役社長に就任。家電量販店から総合免税店事業への転換の指揮を執る。

日本語を学びながら学生時代に起業。

須原伸太郎(以下須原):単刀直入にお伺いしますが、羅さんはなぜ日本に来られたのですか?

羅 怡文氏(以下羅氏):日本に来たのは1989年、私が26歳のときです。当時の中国は改革・解放があまり進んでなく、上海を中心に若者たちは海外に価値を求めていました。私も同様に海外を見たいという気持ちが非常に強く、そのときちょうど行ける先が日本だったのです。他の選択肢はなかったというのが正直なところです(笑)。

須原:来日されたとき、日本語は?

羅氏:あいうえおぐらいでしたね。p07_01日本の大学院に通いながら日本語を学び、創業したのも大学院時代でした。

須原:そこが羅さんの凄いところだと思います。異国で学校に通いながら、言葉を覚えながらの起業。相当にハードルが高いですよね。

羅氏:たしかにそうですね。当時はアルバイトをしながら勉強をしていて、いつまでバイトをしないといけないのだろうと、自分が置かれている環境を変えたいという気持ちが強かったです。

須原:そして在学中の92年に創業。

羅氏:はい。レンタル書店をマンションの一室で家内と一緒に始めました。
95年に法人化したときも行政書士に頼むお金がないため、起業本を読んで自分で登記しました。

須原:当時は余裕のない生活だった。

羅氏:そのとおりですが、レンタル書店事業は順調に伸びていたので、苦労はありましたが借金を抱えるような苦労はありませんでした。法人化してからは中国語新聞を発行し、97年には別法人でCS放送のテレビ局を始めました。同時に国際電話も取り扱い、この時期はメディアと通信事業を行っていましたね。

コンセプトは日本と中国の懸け橋。

須原:そして2009年にラオックスを中国の家電量販店チェーンである蘇寧雲商集団と一緒に買収されました。もともと蘇寧雲商集団とは関係があったのですか?

羅氏:いいえ。私は日本におりましたので、中国企業の蘇寧雲商集団との接点はまったくありませんでした。もともと私がラオックスに注目していて、1人で買収するのは難しいため、蘇寧雲商集団にお願いをしに行ったことから関係が始まりました。

須原:ラオックスで何か面白いことができそうだと思った?

羅氏:それよりも私がこれまで日本でやってきたことは日本と中国の懸け橋役です。レンタル書店もメディア事業も通信事業もみんな同じです。常に日本と中国の経済をリンクさせ、何ができるのかを考えてきました。日本の良さと中国マーケットをどうやってリンクさせるのか?ラオックスもこのコンセプトの一環に過ぎません。

須原:そのコンセプトにラオックスがマッチした。

羅氏:はい。これまで一見バラバラな事業をやっているように見られますが、実はコンセプトは首尾一貫しています。日本に来てからずっと同じことを考え続けて、少しずつですが進化、進歩してきたと思います。

須原:羅さんが社長になられた2009年のラオックスは売上的には底の底でした。そこからV字回復を果たすのですが、2009年当時は資金的にも相当に厳しい状況だったと思います。当社から財務部長を送らせていただいたのもこの時期でしたが、当時ここを乗り切れば大丈夫だという確信はあったのですか?

羅氏:正直に言えば、当時は十分な資金計画のもとでやっていたわけではなかったので、増資した後にも蘇寧雲商集団に資金協力をお願いし、二度三度と資金を追加していただきました。しかし、ビジネスの方向性は明確でした。日本の商品と中国のマーケットをリンクさせてお互いをバリューアップさせること。これに沿ったもので成功の可能性が少しでもあれば何でもやってみようという姿勢でいました。日本と中国をリンクさせるのは私の役割ですし、私のビジネスの原点とチャンスがそこにあると思っていました。

須原:巨大企業の蘇寧雲商集団を親に持つ苦労もあったのでは?

羅氏:いいえ、それはありません。大企業ですので事業計画の提出はきちんと求められますが、これは当然のことです。逆にありがたかったのは、ラオックスをサポートすることや資金が必要なときは躊躇せず応援するという基本姿勢を貫いてくれたことです。だから、蘇寧雲商集団の会長やCFOは「分かった。やりましょう」と話が早いんです。もちろん具体的な事務手続きなどシビアな面はありますが、それは非常に正しい姿だと思っていますし、蘇寧雲商集団がいなければ、今のラオックスはなかったでしょう。

須原:理想の親会社なのですね。

羅氏:はい。経営をお任せするという基本姿勢は変わっていないので、本当に理想の親会社です。

免税店という正しい選択。

須原:羅さんが社長に就任される前は、
現在の爆買いや東京オリンピック、政府のインバウンド促進など予測できなかったと思いますが、実は当時の羅さんには今の状況が見えていたのですか?それともラッキーだったのでしょうか?

羅氏:それは両方あると思います。p05_02インバウンドは時代の流れで絶対に来ると確信していました。それと、そもそもラオックスに他の選択肢はなかったんです。当時、ラオックスは量販店として破綻している状況でした。規模は縮小し、90億円程度の売上と100人を切る社員。店舗を閉じるわけにもいかず、店を活かすしか他はなかった。では、現実的に店で何をやるかを考えれば、縮小する国内のマーケットに目を向けるよりも海外だろうと。そして、私のコンセプトである日本と中国をいかにリンクさせるかを考えれば、免税店しか道はない。ラオックスの事情とマーケットの将来を重ねて考えていった結果、免税店に辿り着いたというわけです。そして、今の爆買いについては、抑制期間があった影響があります。

須原:東日本大震災や日中関係の影響ですか?

羅氏:はい。中国の方々が日本に来たくても来れない状況が3年間続きました。この抑制期間によって、今の爆買いが起ったのです。だから、本来なら私たちの成長曲線はもう少し緩やかだったはずです。
爆買いによって爆発的な売上が構築でき、ある意味でラッキーな面もありましたが、こちらの人員が不足するという事態も生じました。結果的にこの状況は、私たちにとってあまりいいことではなかったと思います。ただ、免税店事業という選択は正しかった。これは間違いないと思っています。

須原:現在行っているNTTドコモとのモバイルサービスの提携やオンワードホールディングスとの提携、またアパレルPB「ORIGAMI」などのアイデアは、羅さんから発信されるのですか?

羅氏:私だけではなく、幹部社員たちからのアイデアもあります。流行は刻々と変化しますし、今までの商品だけで売上は伸びていきませんから、私が自らアイデアを出しますし、社員たちのアイデアも積極的に採用します。海外のお客さまに向けて、新商品を自らまたは新たな提携先と一緒に開発していくという姿勢や考え方は、私も社員たちも一緒です。でも、私はラオックスのトップセールスマンでもあり、トッププランナーでもあることは自負しています。

須原:新店舗などの現場も羅さんが管理されている?

羅氏:基本は社員に任せていますが、旗艦店や大型店舗の開発については私が関わります。設計会社との店舗デザインの打合せからMD構成まで関わりますね。逆に一般店舗は社員たちに任せています。

須原:社員に権限を委譲して機能する体制になっている。

羅氏:はい。そもそも私はあまり細かいことはやらない方針です。どちらかと言えば、数字を見て判断すること、先を見通すことが私の役割だと考えています。そういう意味では自然と社内が分権化されていったのかもしれません。

日本人をいかにグローバル化するか。

須原:21カ国対応ができる店舗など、ラオックスの組織はダイバーシティ化が進んでいます。大手企業を除く日本企業の多くはまだまだ進んでいませんが、先行するラオックスが感じている上手くいっている点と、そうではない点を教えていただけますか?

羅氏:ラオックスは親会社が中国企業、社長の私も中国人、社員の半分以上は外国人です。そういう意味ではダイバーシティ化、グローバル化が進んでいる組織です。その点で私がいつも社員に伝えているのは、ラオックスは日本の会社であるということ。これはラオックスの原点であり、株主、社員、社長がどこの国籍であろうと日本企業であることに変わりはないという点を強調して伝えています。いわゆる外資系企業に変えるつもりもありません。私たちが考えるダイバーシティ化、グローバル化は2つあります。1つは世界の人々がお客さまであること。そしてもう1つは日本の良い商品を世界の人々にお届けすること。この2つの基本は社員全員に伝え、浸透しています。

須原:軸はあくまでも日本で、日本を世界に売る企業だと伝えている。

羅氏:はい。日本の良い商品を世界の人々にお届けすることを生業としていますから、ラオックスが日本企業でなければ、原点を失うわけです。その意味では、ラオックスは日本企業の中でいちばん日本的な企業なのかもしれません。私たちは日本の良い商品を一生懸命発掘して、日本人が忘れていた日本の良さを世界の人々へ提供しています。だから、ビジネスをしていく上で必然的に外国人比率は高くなっていきます。雇用という側面から見れば、外国人社員やアルバイトは仕事に対して非常に積極的で、仕事の覚えも早く、言葉の面で即戦力になります。成果もすぐにあげてくれます。その反面、日本人と比べて離職率は高く、雇用の手続き上の手間がかかるという点もあります。しかし、それよりもむしろ大きな問題は、日本人社員をグローバル化していくことです。言葉の壁は非常に大きいです。免税店として、中国をはじめどの国のお客さまでもコミュニケーションが取れるお店が私たちの強みですから、日本人だから日本語しかできなかったら、ラオックスでの活躍の場を大きく失ってしまいます。だから社内の語学教育は特に注力しています。

須原:ラオックス大学ですね。

羅氏:はい。ときに私が教鞭をとってビジネス教育も行っています。日本人への語学教育もそうですが、外国人社員が日本人のお客さまに対して、日本のおもてなしが提供できるよう教育も施しています。日本人のグローバル化と外国人に対する日本の作法教育がいまの私たちの課題です。

これからは世界を見て、自信を持つこと。

須原:言葉はグローバル化p06_01のなかで大切な要素ですが、羅さんご自身が日本に来て、言葉も満足でない異文化の中で、もがいてきたプロセスこそが本当のグローバル化だと感じました。そういう環境設定を日本企業がもっとやれていくといいのでしょうね。

羅氏:そうですね。日本企業の商品は本当にいいものばかりですし、実力もあります。これから日本企業に必要なのは、先見的な見方と自分自身を変えていくことだと思います。とくにグローバルマーケットには迅速に対応していかないとダメですね。そこに日本企業がもう1度活躍するチャンスがあると思っています。

須原:羅さんは環境変化に敏感でしなやかですよね。

羅氏:マスコミは中国人の爆買いの受け皿としてラオックスを取り上げるのですが、それは私たちの正しい姿ではありません。私たちは将来のマーケットを予測してきたことや、常に新しい業態にチャレンジしてきた企業であることを理解してほしいと思っています。

須原:では最後に、常に新しい経営にチャレンジされている羅さんから、企業経営者の皆さまへ向けてメッセージをいただけますか?

羅氏:いちばん難しい質問ですね(笑)。そうですね。多くの方は日本の将来に対して、少子高齢や国内経済の低迷に直面して非常に悲観的になっています。日本の将来は人口が減少するから、マーケットがシュリンクするから明るくないと。でも、私はまったく違った見方をしています。日本には良質な職人さんがたくさんいます。良質な商品をたくさん持っています。グローバル化によってこの良質な職人と商品にスポットが必ず当るはずです。その意味ではもの凄いチャンスがもう1度日本にやって来ると思います。日本が活躍する日は確実にやってきます。だから、日本の経営者の皆さんにお伝えしたいのは、世界を見て自信を持つということです。世界という切り口からもう1度、ご自身の会社を確認してみてください。必ず強みを見つけられるはずです。

須原:世界を見ろということですね。

羅氏:そうです。あとは自信を持つことです。

須原:わかりました。本日はありがとうございました。

編集後記

羅さんとの出会いは7年前。リーマンショックの直後でした。当時苦境に立たされていたラオックスのスポンサーとして蘇寧電機を招聘し、自ら社長に就任。経営の舵取りを開始されたあの頃の羅さんにはすでにいまの日中OUT-I Nの絵姿が見えていたのでしょう。外国語でコミュニケーションがとれる=グローバル化ではなく、異なる文化、風俗、言語環境下で、商売をまるごと回せる事が真のグローバル化。単身日本に留学し、文化や習慣がまるで違う日本で起業された羅さんは、本当の意味でのグローバル人材です。日中の架け橋役として、中国財界からも日本財界からも大きな信頼と期待を寄せられている羅さん。
これからも、公私共に気の置けないお付き合いを続けていきたいと思っています。
執筆者

須原 伸太郎 氏

株式会社エスネットワークス 代表取締役社長・公認会計士・税理士 須原伸太郎 氏

一橋大学経済学部卒業。監査法人トーマツ入所後、株式会社マッキャンエリクソンにて企業の戦略立案及びマーケティングプランニングに従事。 1999年株式会社エスネットワークスを共同設立、同社代表取締役副社長就任。 2011年4月、同社代表取締役社長に就任。