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志を持って努力すれば巨象でも倒せる 株式会社ハーツユナイテッドグループ代表取締役社長 CEO 玉塚 元一 氏

この記事は2018年5月発行のREVOLVING DOOR vol.19より転載しております。

背景

株式会社ハーツユナイテッドグループ 代表取締役社長 CEO 玉塚 元一 

背景41962年生まれ。慶應義塾大学卒業後、旭硝子株式会社に入社。社内留学にてMBA、国際経営学修士号取得。1998年、日本IBM株式会社へ転職するも株式会社ファーストリテイリング社長の柳井正氏との出会いにより、わずか4ヵ月で株式会社ファーストリテイリングへ入社。2002年、同社代表取締役社長兼COOに就任。その後、事業再生、経営支援を手がける株式会社リヴァンプを澤田貴司氏と共に設立、共同代表に就任。2014年、株式会社ローソン代表取締役社長に就任、2016年より同社代表取締役会長CEO。2017年1月より株式会社ハーツユナイテッドグループ顧問、6月に代表取締役社長CEOに就任、現在に至る。

ユニクロやGUを展開する株式会社ファーストリテイリングの社長を務め、その後、事業再生を手がける株式会社リヴァンプを設立し、 様々な企業の再建に尽力。そして、新浪剛史氏より株式会社ローソンのバトンを受け社長を務めた、玉塚元一氏。多くのビジネス誌や メディアで取り上げられるプロ経営者です。現在、玉塚氏はデジタル製品の不具合を検出するデバッグ事業をコアに急成長する株式会社 ハーツユナイテッドグループの代表取締役に就任し、新たな経営改革に取り組んでいます。氏の原点やこれまでの歩みなどから仕事に 対する姿勢や考え方に迫りました。

リベンジしなきゃいけないんだ。

須原:さまざまなメディアにご登場されている玉塚さんですが、子どものころ なりたかった夢を教えてください。

玉塚氏:ちょっとディープな話になりますが、うちの曾祖父は玉塚証券を創業し、 祖父が成長させました。ところが昭和40年の証券不況で、あとを継いだ父の 時代に吸収合併されて、玉塚証券が消滅してしまったんです。そのときになぜ家業 を守れなかったんだろうと、ものすごく感じました。だから、漠然とですが、何か 事業を起こして、リベンジしたいと思っていたんです。玉塚証券を成長させた祖父 というのは、東京証券取引所の理事長も務めた玉塚栄次郎で、私が初孫でした。 僕を抱っこして喜んで、その5ヵ月後に他界したそうです。だから僕には記憶が ない。ただ、お祖母さんから「あなたはお祖父さんの生まれ変わりだから、もう 一度、家業を繁栄させなきゃいけない」って刷り込まれていたんですね。僕の 学校は慶應でしたから、なかには商売をやって成功している家の子もいて、 僕はこいつらと違う、ゼロからリベンジしなきゃいけないんだという気持ちが ありました。だから一番キツくて、強くなれそうなラグビー部に入ったんです。

須原:意外です。玉塚さんにも反骨心みたいものがあったんですね。

玉塚氏:反骨まではいかないのですが、やっぱり男子たるもの、負けん気というのが あるじゃないですか。慶應という環境だから余計にそう思ったのかもしれません。

須原:玉塚さんと言えば、ラグビーです。ラグビーをやっていて良かったこと は何ですか?

レイヤー 0玉塚氏:当時の慶應は花園で活躍するような選手は採れなくて、たたき上げ の選手ばかりで強豪校に挑みました。大学4年のときに対抗戦で優勝して、 大学選手権では同志社に敗れ、準優勝。同志社には平尾誠二選手や大八木淳史 選手がいたんです。でも、このたたき上げのメンバーで早稲田や明治といった 強豪を倒すことができた。慶應の体育会を生んだ小泉信三先生が「練習は 不可能を可能にする」という言葉を残していますが、実力がなくても小さく ても、志を持って努力すれば、巨象でも倒せるんだということを実体験できた のは、何よりも大きいです。

須原:それは自信になりますね。

玉塚氏:もうひとつは海外で仕事をしていたとき。世界にはラグビーを愛して いる人がたくさんいて、やっていたというだけで地位とか関係なく仲間になれ るんです。よくビジネスランチで「キミは体が大きいけど何をしていた?」と 聞かれ、「ラグビーだ」と答えた途端に、それまで厳しかった商談がスーッと 進んだり。ラグビーには助けられました。

須原:新卒で旭硝子を選ばれたのはなぜですか?玉塚さんは商社のイメージがあります。

玉塚氏:ラグビー漬けだったので、成績が悪くて、商社には入れなかったと思います(笑)。僕が旭硝子を選んだのは、家業とは異なる業種でしたし、ものづくりは経済の根幹ですから。それと、海外で活躍するビジネスパーソンになりたくて。だから、メーカーで海外拠点数が多くて、同期が少ない会社を選びました。海外へ行ける確率は高くなるでしょ。

須原:戦略的な選択ですね(笑)。でも、なぜ海外に目が行ったのですか?

玉塚氏:それは大学ラグビーでのイギリス遠征の経験があったからです。ケンブリッジやオックスフォードとの試合後に食事会があるんです。ハリーポッターに出てくるような大広間で食事をしていると向かいに座る学生が英語で話しかけてくる。でも、英語が話せないから、「ビーフグッド」くらいしか言えない(笑)。それで、これはほんとうにもったいないなと。世界のいろんな人と友だちになりたいし、世界で活躍できる人間になりたいとすごく思いました。

とにかく聞きまくる。

須原:あまりメディアでは目にしない旭硝子時代の玉塚さんを教えてください。

玉塚氏:旭硝子ではたくさんの刺激を受けました。最初は千葉の化学品工場に配属にされて、2年間の見習いです。安全靴履いてヘルメット被って、工場で仕事をしました。今でも覚えているのですが、工場で初めてミーティングに参加したときです。会議の内容が何もわからないんです。ただ、早稲田卒の同期は発言をする。そのとき僕の中でスイッチが入りました。これからはここが戦いの場だと。わからないことを絶対に先延ばししない。そう決めました。でも、これが大変で、工場は疑問の塊です。なぜあのタンクからこれが出てくる?この原材料はなんだ?とね。でも、僕は物怖じしない性格なので、工場の人たちに聞きまくる。するとみんな親切に教えてくれるんです。そのうちスナックに連れて行ってくれたり。いろんなことを吸収しました。嬉しかったのは2年経って千葉工場を出る日に、その早稲田卒の同期が、おまえの吸収力とパワーに負けたって。

須原:それはローソンの方から聞いたエピソードと一緒です。玉塚さんはオーナーにグイグイとなんでも教えてくださいと、あり得ないくらいに入っていくと。

玉塚氏:いやいや。大したことはしていません。あと、商売が面白くなったのは旭硝子のシンガポール時代。入社4年目から4年いたんですけど、これも貴重な経験でした。当時僕は、精密化学部品用の洗浄剤などをアジア各国に販売していたのですが、日本工場での製造だけでは足りなかったため、現地の会社を買収したり、物流拠点のジョイントベンチャーをつくったりしていました。しかし、買収先の役員になったときに、僕は貸借対照表も読めない。複数の投資オプションから選択するにも、どれが良いか論理的にわからない。ビジネスの基礎体力がないと思ったんです。そんなときに社内の回覧板で、ビジネススクールの募集があって、これだと思って申し込みました。でも、入学適性検査を受けたら600点は取らないといけないのに250点。そこから図書館で勉強して、高校生にも教えてもらって、なんとか合格できました。アメリカのビジネススクールでもあらゆる教授にわからないことは聞きまくっていましたね。正直言うとね、「玉ちゃんは元気はいいけどね」って言われて来たことにコンプレックスがあったんです。でも、ふたつのビジネススクールで成績優秀者として表彰されて、僕の中でそれがスーッと取れたんですよ。あとはアメリカのアントレプレナーに衝撃を受けたことも大きかった。ジーパンにキャップの30代の経営者が1,000億円の会社つくって、この商品で将来を変えるんだと話す姿は、ほんとうにびっくりした。彼らには勝てない。でも、僕にできるかどうかわからないけど、小さくてもいいから会社をやりたい。そう思って、旭硝子を辞めました。

勘違いしかかっていた。

背景3須原:現在、ファミリーマート社長であり、リヴァンプの共同経営者だった澤田貴司さんとはいつ出会ったのですか?

玉塚氏:澤田さんとは旭硝子時代からの付き合いで。彼は僕より5つ上で、伊藤忠商事の商社マンでした。シンガポールではよく一緒に仕事をしたんです。僕は旭硝子を辞めて、日本IBMに入り、これからはITだし、覚えながら、やりたい事業を考えようと思っていたときに、澤田さんから「IBMに行ったんだって、プレゼンしに来い」とね。

須原:それでお誘いがかかった。澤田さんがファーストリテイリングにいたときですね。

玉塚氏:そうです。でも、ファーストリテイリングに入ったのは柳井正さんの影響ですね。ほんとうに衝撃的だったんです。当時のアパレル産業の構造はおかしいと。本来1,000円で売れる商品が10,000円になっている。価格変動を抑えるためにもベーシックに集中して、品番を絞り込み、生地にも生産にも踏み入って、需要予測の精度を上げていくんだと。そうなれば、お客さまにもっと付加価値の高い商品を市場最低価格で提供できる。この産業を根本的に変える、という話をドーンとするわけです。それと、「玉塚君、MBAやコンサルでは経営者にはなれない」と言われたんです。なけなしのお金で店を出して、お客さんがなぜ来ないのかを考えながら工夫を重ね、一方で家賃も賃金も払わないといけない。現金はどんどん減ってゆき、胃が痛くなる。これを繰り返さない限りは絶対、商売人や経営者にはなれない。その話を聞いて勘違いしかかっている自分に気づいたんです。MBAホルダーのコンサルの自分。頭でっかちになりつつあると思いました。それで、申し訳ございません、何でもやりますから仲間に加えてください、と。

須原:ファーストリテイリングに入社されて、社長になられたのが39歳のときですよね。とはいえ30代です。まだ未熟な部分もあります。そのときにカリスマオーナーの柳井さんから社長をやってくれと言われたときの心境は?

玉塚氏:あのときは消去法で僕がやるしかなかったんです。当時のファーストリテイリングは危機的な状況にありました。僕が入ったときは700億の売上が、わずか4年で4,000億まで急成長したんですが、そのあとにユニバレとかで売上が急降下していくんです。SPAは好調のときは良いのですが、下がった瞬間にみるみる在庫が膨らんでいって、売り場はいつも同じ商品。いつもディスカウントされていて、お客さまが離れていくという負のスパイラルに陥りました。今でも覚えていますけど、僕が社長になってすぐに、土曜日の午後3時に原宿店に行ったら、お客さまが一人もいなかったんです。一人もいない店で、僕の足は震えていました。でも、この状況を立て直さないといけない。どうしたらいいんだろう。高品質なベーシックカジュアルを市場最低価格で販売するというモデルは絶対に間違っていない。ただ、ブームでおごりが出て、ニーズとズレてきたんだ。そこからみんなでやったことは、徹底的にもう一度お客さまの声を聞こうって、怒濤の消費者インタビューをやったんですよ。述べ5日間、朝から晩まで。僕や各部門の責任者10人でインタビューでお客さまの声をひたすら聞いて、問題点をホワイトボードに書き出した。そこから仮説を立て、PDCAを回して、少しずつ業績が上向きました。

柳井さんからすべて学んだ。

須原:では、社長をやるとき、柳井さんから何か要望はあったのですか?

玉塚氏:柳井さんはものすごく商売が好きで、ものすごく細かいことまで気にする方です。当時の僕の最大の反省は、若造で、社長の俺が決めるんだ、俺がやるんだと肩肘を張っていたことですね。今から考えると、どうでも良い細かいことでぶつかるわけですよ。当時は、自分ができる領域と柳井さんにお願いすべき領域を冷静に見極めながら、「一緒に会社を良くしていこう」と いう謙虚さと懐の大きさと、賢さみたいなものが圧倒的に欠如していました。 だから、毎日ぶつかっていたんです。当時40歳前後の僕にはできなかった。 責任も重かったし、やらなきゃいけないこともたくさんあった。このときの経験 と、その後リヴァンプという会社で様々な創業者と向き合ってきた経験がある 今の僕ならアドバイスできると思います。事業承継は全権委譲すべきだとか、 白黒つけることは無意味だし、現実的じゃない。その辺のことはものすごく 学びましたね。貴重な体験でした。

須原:前回の本誌にご登場いただいたUSEN NEXT HOLDINGSの島田さんも 同じようなことを言っていました。楽天の三木谷さんやUSENの宇野さんと いう強烈なオーナーのビジョンを現実に落とし込んでいかないといけないと。

玉塚氏:僕の場合は、うまくできなかったことも多々ありました。でもそれは それで強烈な経験です。僕は柳井さんのことは師だと思っています。本質的に 何をしなくてはいけないのかという考え方やイノベーションを起こす熱意、 ビジョン達成への熱い思いとか。僕は7年間、柳井さんと現場で勝負してきて、 とくに最後の3年間はあれだけ力を入れてやらなかったら、今の私は到底ない です。今でも、年に数回は必ずご挨拶に行くんですよ。

須原:大切なものはすべて柳井さんから学んだと言っても過言ではない。

玉塚氏:そうです。商売の原理原則、強い会社をつくる原理原則、リーダーシップ の原理原則など、根幹の部分は柳井さんにものすごく学びましたね。

須原:では、ローソン時代、柳井さんから学んだことは大きく生かされましたか? それともアパレルとはオペレーションが違うので、玉塚さんなりのチャレンジ をされましたか?

玉塚氏:原理原則は一緒だと思います。ミクロとマクロを行ったり来たり しながら、正しいジャッジを行うスピードとか、PDCAとかの原理原則は一緒 です。経営のやり方や正しい会社にいかに持っていくかということも本質的 には似たアプローチだと思います。レイヤー 1

ポテンシャルを現実にする。

須原:現在のハーツユナイテッドグループでは、デバッグを中心とした事業を 展開されていますが、玉塚さんが抱く将来展望を教えてください。

玉塚氏:2017年6月に私が就任してから第2創業プロジェクトという名前で、 さまざまな構造改革に取り組んでいます。当社は16年間、主にゲームソフト ウェアのデバッグで成長してきました。今、テストセンターであるラボが国内 15拠点あり、そこに約8,000人のテスターがいて、今日も様々なテストをして います。これから社会はますますデジタル化が進み、デジタルデバイスがさらに 普及していきます。スマートフォン、AIスピーカー、カメラ、それらの製品に 載るチップ、そして、その上にソフトウェアが搭載される。また、IoTで それらがすべてつながっていく。私たちに対する市場ニーズは非常に高いと 考えています。これからはテストの自動化やテスターのクオリティアップを しながら、ひとつはゲーム業界の応援団として業界の繁栄に貢献していきます。 具体的には、約8,000人のテスターたちは発売前のゲームをすでに触って いますから、このテスターが中心となったゲーム攻略サイトを展開したり、 ゲームのカスタマーサポートとして、ユーザーの質問に答えていくビジネス にも取り組みます。そして、もうひとつは、Webシステムや業務システム等を 対象としたシステムテスト事業の拡大や脆弱性診断をはじめとするセキュ リティ領域を強化していきます。

須原:ハッキングに対する防衛や、AI、ディープラーニングなども、外から知見 を取り込んで展開していく可能性もあり得ますか?

玉塚氏:その可能性はあります。今、CTOと一緒に、エンジニア人材の強化と、 外部とのアライアンスなどを進めています。例えば、膨大なバグデータから AIで傾向値を見つけていって、テストの効率化を図るなどの取り組みを 推進しています。当社のポテンシャルは2つあると思っています。ひとつは デジタル化の波が来ていること、もうひとつは、豊富な人材がいることです。 これからの日本は圧倒的な人手不足になります。あと10年で1,000万人の生産 年齢人口がいなくなる。特にICT業界は市場全体がどんどん広がっていきます。 そこで活躍するのが、私たちのテスターです。ゲーマーであり、デジタルデバイス が好きな人たちを育て上げれば、将来、高度なシステムに対応できる人材へ トランスフォームできる。ICT業界にエンジニアを提供するプラットフォーム になれる可能性が十分にあるのです。

須原:それはものすごく大きな可能性ですね。

玉塚氏:でも、これは可能性に過ぎません。この可能性を実現できるかどうかは やっぱり経営です。会長の宮澤さんからも、「玉塚さんと強いチームをつくり、 可能性を追求しましょう」と言われています。第2創業期として、一気に徹底的に、 構造改革に取り組みたいと思います。

須原:わかりました。私たちも少しでもお役に立てるよう頑張ります。 ありがとうございました。

 

 

編集後記

玉塚さんにはじめてお会いしたのは、10年前。リヴァンプ創業直後 でした。その後、当社顧客である高知県のコンビニエンスストアチェーン がローソンと提携する際に2度目の接点を持ち、そして今回、ハーツ ユナイテッドグループさんをお手伝いすることとなって、3度目のご縁を いただきました。 長身痩躯 破顔一笑 玉塚さんを形容するキャッチフレーズは幾つも浮かびますが、いずれ にしても、ラグビーは外せません。ラグビーといえば、猪突猛進。やはり、 玉塚さんには、このフレーズが一番似合うのではないでしょうか。その 一方、細やかな気遣いをかかさない、気配りの方でもあります。だから、 多くの人が魅了される。メーカー、アパレル、コンビニエンスストアを経て、 新しい分野(IT)での挑戦を始めた玉塚さん。デバッグ業界に革命を もたらそうとしている玉塚さんの引き続きのご活躍に、要注目です。

執筆者

NEXT CFO 編集部

 NEXT CFO編集部

経営者・管理職にCFOの役割を広めたい!CFOが活躍する社会をつくることで、日本経済を活発にしたい!そんな想いでNEXT CFOのメディアを運営しています。