「社員にコミットできた」3度の上場を成功させた宇野社長の有言実行の経営

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株式会社USEN取締役会長 / 株式会社U-NEXT 代表取締役社長 宇野 康秀氏

1988年4月、株式会社リクルートコスモス(現:コスモスイニシア)に入社。 翌年1989年にはリクルートグループの鎌田和彦氏、島田亨氏、前田徹也氏、武林聡氏らと共に株式会社インテリジェンスを設立し、代表取締役に就任。 設立時から目標にしていたジャスダック上場を果たす。 1998年、父親の病気を理由に株式会社有線ブロードネットワークス(現USEN)の代表取締役社長を引き継ぎ、数々の苦難を乗り越え、大証ヘラクレス上場へと導く。 2010年、株式会社USENから「U-NEXT」事業を引き受け、株式会社U-NEXTを設立。 そして2014年12月3度目の上場を実現した。 プライベートでは数年前からトライアスロンを始め、2012年に日本最長のレース佐渡島トライアスロンを完走。 また、最近は登山を始め、2013年7月にヨーロッパアルプス最高峰のモンブラン登頂にも成功した。

名だたるメンバーが集結した究極のチーム経営

須原伸太郎(以下須原):本日は長年お付き合い頂いている宇野さんに、お聞きしたかったことをまとめてインタビューさせていただきます。 まず、宇野さんが実業家を目指したのは、株式会社USENを経営されていたお父様の影響がありましたか?

宇野 康秀氏(以下宇野氏):父というよりも親戚一同が何らかの商売をやっていましたので、商売をするのは当然の感覚がありました。 それよりむしろ、偉大な経営者の本から影響、感化されていったことのほうが大きかったですね。

須原:高校生の頃は、実業家か、映画監督か、生物学者を目指していたのですよね?

宇野氏:よくご存知ですね。 どの道へ進むべきか真面目に悩んでいました(笑)。

須原:現在は実業家となり、映画も事業として配給や製作をされていますね。

宇野氏:映画はまさに思いがカタチになりましたね。 まだ、監督はやっていませんが(笑)。 生物学者は今となってはもうないですね。

須原:では、本題に入っていきますが、最初に立ち上げたインテリジェンスで苦労されたことは何でしたか?

宇野氏:インテリジェンスを設立した1989年は、vol07_06_002今のように若い人たちがITなどのビジネスで成功しているケースがあまりない時代でした。 4人で始めましたが、私が最年長者で25歳。 ですから、会社の信用度をつくるという面では非常に苦労をしました。 とくに大手企業相手にビジネスをしていましたので、信用を得るまでに時間がかかりましたし、ちょっとした失敗で一気に取引がなくなります。 採用も同様でした。 設立当初から積極的に新卒採用を行っていましたが、25歳の社長の会社に入るなんてありえないと。 大手を蹴ってうちに決めてくれた学生の親御さんから「うちの息子をたぶらかさないでくれ」と電話がかかって来たほどです。

須原:時代背景的にも苦労をされたのですね。 しかし、インテリジェンスの創業メンバーは、宇野さんを筆頭に現在、楽天の副社長を務める島田亨さんや、様々なビジネスを手掛ける鎌田和彦さん、前田徹也さん、武林聡さん、その後、現インテリジェンスの社長である高橋広敏さん、サイバーエージェントの藤田晋さんなど、もともと一国一城の主となるべき方が続々と集まりました。 究極のチームによるチーム経営がなされていましたが、初めから意図されていたことなのでしょうか?

宇野氏:いいえ、自然と集まったと言ったほうが正しいでしょう。 ただ、途中からそういうチームをつくるべきだと意識し始めました。 似たような才能が集まるよりは、それぞれ特徴ある才能を集めたゴレンジャーみたいなチームが強いと。 これは部下にもいつも言っていたことです。

USENで2度目の上場「きちんと社員にコミットできた」

須原:そんなタレントが集結して、設立から11年でジャスダック上場を果たしましたが、そのときのお気持ちは?

宇野氏:とにかく社員たちにやっと報いることができた。 この気持ちが1番大きかったです。 大手の内定を蹴ってうちに入ってきてくれた新卒社員たちに「将来上場する!だから頑張れ!」と鼓舞してきましたので、私が嘘つきになってはいかん。 これが自分の中ではプレッシャーでした。 だから、上場した瞬間に、嘘つきじゃなくなったと胸を撫で下ろしました。 上場パーティーでは社員のご家族をお招きして「一人前の会社になりました」とご報告させていただきました。社員の家族には、本当に心配をかけましたので、上場と言う約束を果たせた安堵感と達成感と嬉しい気持ちでいっぱいでした。

須原:それから、お父様の病気に伴い株式会社USENの事業承継をされましたが、自ら立ち上げた会社とはまったく異なる会社へ、スムーズに入っていかれたように見えましたが、いわゆる2代目社長のような苦労はなかったのですか?

宇野氏:私の場合は、父の死と同時に株式と負債を譲り受けてという形でしたので、2代目社長というよりM&Aによるオーナーチェンジでした。 世襲的な意味合いではなく、オーナーシップが完全に転換したという感じです。 もちろん私のインテリジェンスでの実績もUSENの人たちは見ていたので、その点ではスムーズに入れた気はしています。

須原:宇野さんがUSENに合わせていった?それとも逆に社員にアジャストしてもらうように意識改革をしていった?

宇野氏:私がアジャストしていきましたね。 父とは亡くなる直前に話したのですが、父は「インテリジェンスから人を連れてきて、ボードメンバーをつくって経営しろ」と。 それに対して、私は「インテリジェンスからは誰も連れていきません。 今の幹部を活かします」と伝えました。 仮に人を連れてきて、当時USENの社員1万人と全国700事業所をすべて塗り替えていくのは大変なパワーが必要ですし、すでにできあがっている組織を使ったほうが正しいと考えました。 もちろん多少の意識改革はUSENに対して求めましたが、大きくガラッと変えようとはまったく思いませんでした。

須原:そして、USENで2度目の上場を果たします。 このときのお気持ちは?

宇野氏:USENを引き継いだ時点で、売上高と同規模程度の有利子負債があり、実質、債務超過状態でした。 且つ、電柱の違法使用という問題も抱え、これが強制撤去となればもうUSENは潰れるしかありません。 当時は代替措置がなかったため、とにかく正常化を図って、安定して存続できる会社に変えなくてはいけない。 私の中では焦りの気持ちでいっぱいで、社内に向けて“正常化を果たす”という宣言をしました。 当時、現場で働く社員たちは、様々な場所で違法会社だと罵られ、自分の子どもにも仕事のことは話せない。 社員たちにとっては、正常化なんて夢のまた夢の話でした。 だから、宣言をしても社長のポーズだろうと思われていたのです。

須原:当時、写真週刊誌にも掲載されましたよね。

宇野氏:まやかしの正常化と(笑)。 でも、正常化への取り組みは本当に苦労しました。 社員全員で、不眠不休で全国750万本もある電柱1本1本を作業していきました。 “正常化が完了したら上場企業にもなれる”と社員に対して言ってきたので、ナスダック上場ができたときは、きちんと社員にコミットできた、という喜びの方が大きかったですね。

須原:インテリジェンス時代と同じく、嘘つきじゃなくなったと。

宇野氏:そのとおりです(笑)。

「純粋に事業をやりたくて」3年連続赤字からのU-NEXT上場

須原:そしてUSENからvol07_06_003U-NEXT事業を宇野さん個人で買い取られ、スピンアウトされたのが2010年。 翌年には東日本大震災もあった中、設立から3年続いた赤字を見事に黒字転換された末での3度目の上場です。 私も社外監査役として関わらせて頂きましたが、今回がいちばん感慨深かったのではないですか?

宇野氏:“複雑な思い”というのが正直なところです。 特にUSENでは上場企業として、リーマンショック以降資産の減損など対銀行面での様々な苦労があり、株価に対して一喜一憂せざるを得ない部分など、外的要因が事業へ少なからず影響しました。 だから、U-NEXT事業は周囲を気にせず、純粋に事業を伸ばすことだけに集中できる環境をつくっていきたいと考えていました。 しかし、黒字化が見えた頃、今後の事業のため、社員のためを考えれば、上場したほうがいいだろうと。でもまた、あの苦労が始まるのかと思うと、複雑な気持ちです(笑)。

須原:当初上場はイメージしていなかったんですね。

宇野氏:須原さんがよくご存知のように、USENが苦しかったときは、純粋に事業を考えるよりも、それ以外のことで時間を取られることが多くて、早く事業をしたいという気持ちが非常に強かったです。

須原:当時は私もUSEN内でコーポレート戦略室長を拝命し、リファイナンスやM&Aに奔走させてもらいました(笑)。ただ、当時から一貫しているのは、宇野さんの「事業欲」が、飛び抜けて高いままだということ。一般的には、あれだけの有利子負債を抱える危機を経験したり、あるいは逆に2度もIPOしたら、一旦小休止。 という経営者様も多い中、宇野さんからは止まることなく、事業アイデアが次々と湧き出てくる。 現在の事業とは別に、また何か新しく考えていることはありますか?

宇野氏:いろいろありますよ。 やりたいことはありますけど、U-NEXTはまだまだ大きく伸ばせる事業ですし、その延長線上でもまた新たなビジネスも生まれてくるでしょうから、今はアイデアはありますが、この事業に集中したいと思います。

抑えていた事業欲をトライアスロンや登山にオーバーラップさせていた

須原:何度も起業していくつもの事業を立ち上げては伸ばしていく人をシリアルアントレプレナーと言いますが、その中でも3度も上場させた経営者は世界中を見回してもなかなかいません。 この華やかな実績に光が当たりがちですが、反面、リーマンショック後の経営危機をはじめ、大変な思いもたくさんされてきた。 しかし、宇野さんからはその様な姿が微塵も見えません。 プライベートではマラソンやトライアスロン、登山などに挑戦されていますが、これらの活動とご自身のセルフコントロールとは何か繋がっていますか?

宇野氏:自分ができる新しいことをvol07_06_004見つけ出していくことで、気持ちが途切れないようにしていたのかもしれません。私にとっていちばん辛いのは、純粋に事業をやりたいんだという気持ちを我慢しなければならないこと。そのときは抑えていた事業欲を、トライアスロンや登山へのチャレンジにオーバーラップさせることで、心身のバランスを保とうとしていたのだと思います。

須原:経営に必要な心身を保つために、座禅や武道を行う経営者もいますが、宇野さんは敢えてトライアスロンを選ばれた?

宇野氏:いえいえ、それはたまたまです。 自分には到底できないだろうと思っていたマラソンやトライアスロンの完走ができるようになっていくプロセスが非常に面白かったんです。 目標を設定して達成していくプロセスの対象がモンブラン登山になったり、たまたま肉体系になっただけ。 実際、経営は体力勝負のところがありますから、一石二鳥でもありますが(笑)。

須原:これからも事業家人生が続くかと思いますが、今の時点でご自身の事業家人生を評価するとしたら?富士登山に例えると何号目あたりでしょう?

宇野氏:難しいですね。 富士登山は基本5合目から登るとして、一旦7合目まで登ってきたかなと思ったら、5合目まで滑落してしまった(笑)。 そして、また登り直して今は6合目あたりに来ているのかもしれません。 しかし、それよりも自分は一体、何の山を登っているのだろう? 今はそんな感じの意識が強くなっています。

須原:何の山とは?

宇野氏:経営者みんなが同じ山を登っているわけではなくて、もちろん売上規模や時価総額世界一という山を目指す経営者もいれば、まだ誰も登ったことのない山を登る人も、誰も見つけていない壁面へ挑戦する人もいます。 私はどちらかと言えば、新しいサービスやモノを見つけては、それを世の中に役立たせて、広げていくことが好きなので、そういう意味でも自分の登っている山は何かを考えていますね。

須原:最後となりますが、事業欲の強い宇野さんの、今後のビジョンをお話しできる範囲で教えてください。

宇野氏:今回の上場にあたり、機関投資家の皆さんへ向けて会社説明会を開かせていただきましたが、本当に多くの投資家の方から「3度目の上場、すごいですよね」と声を掛けていただき、必ず「次は?」と聞かれます。 先のことは分からないので、今のところ「これが最後になりますので…」としか回答のしようがありません(笑)。 なので、公の場では同じ回答になりますね。

須原:では、何かあるということですね(笑)。 本日はどうもありがとうございました。

編集後記

宇野さんとのお付き合いは、かれこれ16年。インテリジェンス、USENの成長と、エスネットワークスグループの軌跡あるいは実績とは常に同期しており、昨年のU-NEXTの上場で当社のIPO実績がまたひとつ増えることになりました。 これまで長期間にわたってパートナーシップを組ませていただいていることに、いつも感謝しています。 私自身、リーマンショック後のUSENの危機に際して、会社内部者の立場でターンアラウンドの最前線に立たせて頂きました。 あの2年間で、これまでのお返しがすべて出来たわけではありませんが、少しでもお役に立てたとすれば、望外の喜びです。 思えば16年前、宇野さんに初めてお会いした際、「こんなに若くして、これだけしっかりとした経営をされている社長さんがいるのか!」と衝撃を受け、「経営者になりたい!」という気持ちが固まったことが今に繋がっています。 ご本人を前にはこれまで言えなかったので、この誌面をお借りして、お伝えします。
執筆者

NEXT CFO 編集部

 NEXT CFO編集部

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