国内オンライン旅行業界で圧倒的な存在へ

株式会社ベンチャーリパブリック 代表取締役社長CEO 柴田 啓氏

1988年4月、三菱商事株式会社入社。
飼料穀物のトレーディングを皮切りに、サントリー社長の新浪剛史氏や三菱商事取締役会長の小島順彦氏と共にローソン買収案件に従事。
1998年、社内留学でハーバードビジネススクールへ。
そこで出会った取締役の柴田健一、社外取締役の石坂信也らと共に、 現在のビジネスプラン実現を志す。
三菱商事を退職し、2001年(旧)株式会社ベンチャーリパブリックを設立。
代表取締役社長就任。
2008年、大阪証券取引所ヘラクレス(現JASDAQ)に上場。
2012年、MBOを実施。
2013年8月、新・ベンチャーリパブリックを設立、代表取締役社長就任。
経済同友会観光立国委員会副委員長。

ハーバードでの出会い

須原伸太郎(以下須原):柴田さんとはじめてお会いしたのは2000年でした。
まずは起業のきっかけから教えていただけますか?

柴田 啓氏(以下柴田氏):三菱商事に在籍していた1998年、米国はネットバブル全盛期で、
私はハーバードビジネススクール(以下HBS)に留学させていただき、今のビジネスを考えはじめました。

帰国後も自分で考えたビジネスが忘れられず、会社員をやりながらプランを一生懸命つくっていました。
当時、同じ三菱商事でHBSの1年後輩の石坂信也(株式会社ゴルフダイジェスト・オンライン代表取締役社長)に、
今も当社の社外取締役としても参加してもらっていますが、
彼とネットビジネスの話をしていたときに「同じようなアイデアを持っている学生がいるのだけど」と紹介されたのが、取締役の柴田健一です。
本当にそっくりなプランで一緒にできたらと盛り上がりました。

そしてもう1人の創業仲間の大石泰礼は、私がネットをリサーチして見つけました。
彼は当時ネット通販の比較サイトを自主運営していて、静岡で実家の美容室の3畳間を間借りしていたんです。
私はわざわざ会いに行きました。

須原:一緒にやろうと。

柴田氏:はい。
でも大石はすでに他社からオファーが来ていて、柴田健一も世界的なコンサルティング会社から声がかかっていて。
幸いに大石はその話が流れてしまい、私に連絡をくれました。

柴田健一は資金調達ができたら“やる”と返事をくれたので、
私は三菱商事OBが営むベンチャーキャピタルと古巣の三菱商事の事業担当CFOにも相談して、実績もない中双方から2億円ずつの資金を調達することができました。

しかし、オーナーシップは殆どゼロの状態で、その頃ネットバブルも崩壊。
迷いましたが、スタートを決意しました。

須原:やっぱりHBSで大きく人生観や仕事観が変わったのでしょうか?

柴田氏:もともと私の父も起業家で、曽祖父は大連で製油工場を起こした人で、そういう血が流れていたこともあると思います。
もちろんHBSでのアントレプレナーシップ文化は強烈で、クラスメイトはMBAを取得する前にドロップアウトして、
ドットコム企業を立ち上げたりと、これはまたとないチャンスだと感じていました。

オタクのナレッジが活かされる時代

須原:そして、柴田健一さんや石坂信也さんらと創業しますが、ベンチャーリパブリックという社名に決めた経緯を教えていただけますか?

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柴田氏:今の事業の元となるビジネスを考えるにあたり、いわゆるオタクのナレッジが活かされる時代が到来すると思いました。
旅行やショッピングなど様々な分野のマニアックな人々が集まって、それぞれの分野で消費者の購買に参考となる情報が提供できるはずだと。
これが私たちのビジネスの鍵となることもあり、様々な専門家たちの分野が集まった“共和国”にしようと“リパブリック”と名付けました。

須原:様々な分野を集めて広げようと名付けられたんですね。

柴田氏:はい、最初はベンチャーキャピタル的な発想で分野を広げようと考えました。
ショッピング、旅行、金融、不動産、化粧品…、しかし、ネットバブルが崩壊して資金調達は難しい。
且つ、その分野の専門家がいないとできないビジネスなので、ショッピングと旅行に絞ることに決めて事業を行うことにしました。

須原:これは三菱商事にいた柴田さんとしてお聞きしたいのですが、
三菱商事のような歴史ある大きな組織と、これから自分たちで歴史をつくらなくてはいけない組織づくりの両方を体験されてのメリット、デメリットはありますか?

柴田氏:三菱商事はある意味でラクです。
余程の事をしない限り、職を失う事もありません。
だからその環境を利用して、当時、同じプロジェクトにいた新浪剛史さんや小島順彦さんに対しても「これおかしいのでは?」と物申していたんです(笑)。

須原:それを言う人は社内にいないですよね。

柴田氏:はい。
でも、三菱商事も変化し続けなければならないと思いましたし、言う人がいないなら私が言おうと純粋に思いました。
生意気なヤツと見られていましたね(笑)。
もちろん大きな会社ですから、物事を動かすのはすごいパワーと時間がかかりました。

絶望したことは1度もない

須原:起業すると、根回しなどのパワーは不要ですが、不安がつきまといますよね。

柴田氏:これまで本当に辛いと思ったことは実はありません。
もちろん、色々ありましたよ。
しかし、絶望したことは1度もなかった。
私たちの事業価値は絶対にあると思っていましたし、今でもそう思っています。
その思いがある限りは、きちんとやればどこかで道は見えてくると楽観的に思っていました。

しかも、創業当時、インターネット環境はまだまだで、そんな時代に誰がインターネットでモノを買うのか?旅行を予約するのか?と。
当然、創業3年間は売上があがるわけもなく、ベンチャーキャピタルさんからはお叱りを受けていました。
けれど、そんな時も悲痛感は一切なく、将来こんなサービスができたら、
そのためには今これをしておかないといけないと、やることは沢山あって、本当に楽しかったんです。

須原vol05_01_005創業3年が1番ツラい時期だったのですね。

柴田氏:いいえ、それだけではなく、2008年の大阪証券取引所ヘラクレスに上場した時も、
上場1カ月後にはリーマンショック。
翌年は家畜の新型インフルエンザで日本中が旅行しなくなり、株価はどんどん下がりました。
同時にベンチャーキャピタルは株を全量売却したいと。

その後、三菱商事も…これは大変でした。
私をはじめ創業メンバーは1株も売っていませんから、お金はなく、しかも我々の株式保有率は10%。
まさに苦境に立たされた状態でしたが、絶望的とは1度も思いませんでした。

須原:一方で上場できる人は世の中にはそうはいません。
それができた要因はやはり柴田さんがあきらめなかったからでしょうか?

柴田氏:それは大きいですが、やっぱり事業の選択と集中かもしれません。

須原:ショッピングと旅行に絞り込んだことですね。
あと、私が感じるのは柴田さんがビジョナリーで、
それを柴田健一さんが受けて事業へ落とし込むという最強チームがつくれたということも要因ではないですか?

柴田氏:それは非常に大きいですね。
私が本当にラッキーだったのは柴田健一をはじめ、人に恵まれたことです。
やっぱり経営にチームの強さは不可欠です。
1人じゃすべてできませんから。

いい人を自ら血眼になって探す

須原:そこは柴田さんが人に対して常にアンテナ張っていたからですよね。

柴田氏:いい質問ですね。
創業当時は特にそうでした。

我々にとって1番重要なアセットは高い専門性を持った人です。
冒頭でご紹介した大石のような人たちをネットで見つけて、声をかけて、最終的に社員になっていただきました。
今は会社の規模も大きくなって採用サイトで募集をかけるようになってしまいましたが、
もっとアンテナを張って、この人いいなと思ったら、その人にどうやって来てもらえるか考える。

これが中小新興企業のあるべき姿なんじゃないかなと思って、人事とも話しています。

須原:それはすごいですね。
経営陣は直接ハンティングし、カテゴリごとのプロフェッショナルも血眼になってという表現が大げさでないくらい集めてやってこられた。
では、IPOの後、MBOを実施した経緯を教えていただけますか?

柴田氏:MBOでいえば、基本的には会社もビジネスやトレーディングと一緒で、安いバリューであれば買い。
高いときに売るという構造で、でも私たちの株価は圧倒的にアンダーバリューだったんです。

須原:まだまだ私たちはやれると。

柴田氏:はい、そしてもうひとつはオーナーシップの問題。
これは創業からの最大の悩みで、1%以下で起業をして上場前に10%。 これでは安心して経営できません。
やっぱり経営に集中できることの重要性を身に染みて感じていましたから、MBOはオーナーシップをきちんと捕まえられるまたとないチャンスでした。

そして3つ目は、やはり日本は新興企業が中小規模の時価総額で上場していることの是より否のほうが圧倒的に大きいと思いました。
というのはリクイディティはありませんし、上場のメリットが活かしきれていないのです。
我々のビジネスが特にそうで設備投資が必要なわけでもなく資金ニーズがそんなにない。
且つインターネットビジネスは迅速に意思決定をしていかないと成り立ちません。
上場していることによって意思決定が遅れるケースもよくあり、だからこその判断です。

須原:私は、エスネットワークスとして柴田さんのIPOにもMBOにもFAとして関わらせていただきましたが、貴社の事例はHBSでも珍しく、授業でも取り上げられるそうですね。

柴田氏:はい、そう聞いています。

国内オンライン旅行業界で圧倒的な存在へ

須原:では、御社の未来構想を教えていただけますか?

柴田氏:昨年、選択と集中でvol05_01_004旅に特化した新しいベンチャーリパブリックを立ち上げて、
現在は「travel.jp」の運営が主たる事業になっていますが、
ひとつは日本のオンライン旅行業界の中でもっと圧倒的な存在になることが最大の目標です。
今それに向けて全力投球しています。

それと同時に取り組んでいるのが海外市場です。
昨年からアジアを中心に投資や事業を始めています。
もうひとつの大きな成長の礎をつくれるか、チャレンジしています。

須原:年の半分以上は海外に。

柴田氏:はい。 海外事業については私が自ら手がけています。
社員たちからはもっと日本にいてくださいと言われますが、
特に私たちのような規模では新規事業と海外事業はトップが出て行かないとできないと思うんです。

それにオンライン旅行業界はとても国際的なので、世界各国でカンファレンスやコンベンションがあります。
たまたま日本のオンライン旅行業界の現状などを英語で説明できる人があまり多くないこともあり、
1年を通じて様々な国から招かれています。

須原:では、最後に経営者の皆さまへ一言いただけますか?

柴田氏:やはり、選択と集中が重要です。
これからの時代、本物が見直される世の中へと世界が変わりつつありますので、一芸に秀でている企業や専門家が時代の主役に躍り出ると思います。
このような人たちが芸を磨きながらも、須原さんのようなパートナーとそれをどうやってマーケティングしていくのか、
企業としてどう成り立たせていくのかを考えていくことが最善策かと感じています。

須原:好きなこと、得意なことに軸足を置いて、それに集中すると。

柴田氏:徹底的にこだわる。
日本人特有のこだわりを持って、徹底的に突き詰めていくことが、最終的に地域の活性化や日本の元気につながるのではと思っています。

須原:本日はありがとうございました。

編集後記

今でこそ大企業からベンチャー企業へ転身する人材は珍しくありませんが、2000年当時は極めてレアケースでした。
三菱商事からベンチャーリパブリックを立ち上げた柴田さんは
昨今議論のかまびすしい大企業とベンチャービジネスのエコシステムの一翼を切り開いたパイオニアではないでしょうか。
柴田さんは当時から、企画力・実行力に加えて、前向きで明るかった。
たたき上げの泥臭さと、MBAホルダーとしてのスマートさを併せ持つ21世紀型のベンチャー経営者と言ってもよいでしょう。
東京五輪に向けた観光ビジネスのアイデアも尽きないようです。
これからますます楽しみです。
執筆者

NEXT CFO 編集部

 NEXT CFO編集部

経営者・管理職にCFOの役割を広めたい!CFOが活躍する社会をつくることで、日本経済を活発にしたい!そんな想いでNEXT CFOのメディアを運営しています。